もし、
長年続けてきた仕事がなくなったら。
自分のすべてだと思っていた何かを失ったとしたら。
誰よりも長けていると思っていたものがそうではなかったと知ったら。
信じてきた価値観にズレがあったことに気が付き始めたら。
家族や社会の中での役割がなくなったら。
それでも、「私」は残るのだろうか。
人生は、
ときどき容赦なく奪っていく。
価値があると信じていたものを。
大切だと思っていた役割を。
「こう生きれば大丈夫」という物語を。
長い時間をかけて積み上げてきたものを前にして、
「何を守ってきたのだろう。」
「何を積み上げてきたのだろう。」
そう立ち尽くす瞬間さえ、あるかもしれない。
気付けば、何も手に残っていないように見える。
……本当に、そうなのだろうか。
信じてきたものを信じ続けられなくなった時
私は、
誰かの子どもだった。
誰かの親だった。
誰かを支える人だった。
学び続ける人だった。
成果を出す人だった。
誰かに必要とされる人だった。
過去の苦しみに意味を与えようとする人だった。
けれど、役割も使命も、
人生の中でいつまでも同じ形でそこにあり続けるとは限らない。
年齢を重ねていけば、周りの態度や接し方は自ずと変わる。
伴侶という形式を終えれば、
「妻」や「夫」という立場ではなくなる。
子供が育てば、「親」という役割の形も変わっていく。
仕事から離れたら、
今まで使ってきた肩書きやポジションを名乗れなくなる。
今選べる選択肢がこの先の未来にずっと存在し続けるとも限らない。
誰よりもできると思っていたこと。
自分を証明できるものとなっていた経歴や肩書き、地位や経験。
強く信じてきた思想や価値観。
それらがもし、
絶対のものではないと気付いてしまったとしたら。
時間の流れとともに変わっていくものだったとしたら。
何かを維持し続けることにも、疲れきってしまったとしたら。
価値を感じていたもの対して、疑いが生まれ始めたら。
もう、それらを自分の名前の代わりにはできなくなる。
変わるかもしれないのは、役割だけではない。
「努力すれば、いつか報われる」
「誠実に生きれば、大切なものは守られる」
「苦しみには意味があり、乗り越えた先には何かが待っている 」
「この経験は、自分が通るべき道だったのかもしれない」
「これは私の使命であり、人生で成し遂げるものである」
私も長年、自分の信じた世界の中で生きてきた。
ただ、
人生は、自分の信じた物語に従わないことがある。
努力をしたとしても失う。
誠実であったとしても守れない。
理不尽に奪われる側に立たされることもある。
耐えてきた時間が後から意味に変わるとも限らない。
人生の最後に、必ずしも報われるわけではない。
そうして私は、役割だけでなく、
自分を支えていた物語まで崩れていくのを見ていた。
問いとして残るもの
信じていたものが剥がれ落ちた場所に立って、
これまで歩んできた道を振り返ることがある。
はたして、
そこには本当に、
何も残っていなかったのか。
それとも、
言葉にも形にもならないまま、
「何か」だけは残っていたのか。
全てを失ったかのように思えた後に、
誰にも奪われないものが残るとしたら。
誰にも取って変わられないものが、
まだ、あるのだとしたら。
それは、いったい何なのだろうか。
中心巻 第一景
初出 2026年7月28日
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